みんなの日記

みんなでつくるひとつの日記

春から〇〇

早いようで春の訪れを自然と感じるような時期になってきた。僕はこの時期になると毎年Twitter等でよく見る#春から〇〇 みたいなのに嫌悪感を多々感じさせられる(この時点で不快に思われる方はいると思うので最初に詫びを入れておく)。

春から〇〇と書く人には色んなタイプがあると思う(当然ですが)。大学での新生活への期待を胸に膨らませている人、人間関係で1歩リードしたい人、人間関係が不安で足場を固めたい人、仲良くなりたい人を予め見つけたい人、情報が欲しい人、進学先を大々的に発信したい人etc.....挙げれば数多あるのだが、例え何も考えてないと言っても漠然とこういった感覚は持ってやってるはずで、どのタイプにしろ自分は不愉快さを感じる(僕は端から大学に期待はしていなかったし、今も全く楽しいものではないのだが、自分とは対極的だからといったジェラシーとは別の不愉快さである)。何故なのか。

それはきっと、こういうダサいことを平然とやってのけるダサい人間が大学ではマジョリティで、そういったダサいマジョリティが主に楽しめるのが大学であるというのをこのワードがよく著していると思うからだ。ダサいの定義から既に主観的ではあるし全ての人に一貫して言えるものでも無いとは思うけども、やっている事が出会い厨と何ら変わらないし、かの彼らだってそれまでの自分達の高校時代では散々出会い厨的な人間のことは蔑んでいたはずなのに、大学コミュニティという大義名分を振りかざして出会い厨に励むその姿は正に皮肉そのもので、本当にダサい。ダサいというかムカツク、ムカツクしダサい。

こういうのも自分が大学生を好きじゃない理由なんだろうと思いつつも、何か書いていたらすごく小さな事に思えてきた。今の自分はもっと小さい。順応はないにしろ小蝿を認識するような感覚でいたい(それも順応なのかもしれない)。

みんな楽しそうな日記で、自分だけが厄のようで気が引けるし、自分も春から〇〇を楽しみにできるような人間でありたかったと少しだけ思った。

 

id:masa__h